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現役のプロ野球選手時代から様々な話題を振りまいて世間を賑わせていた元プロ野球界のスター選手、新庄剛志さん。
昨年11月、48才で突然のプロ野球復帰宣言をし、また私たちをビックリとさせてくれましたね!
今後どんな風に活躍されるのか楽しみです♪
4月16日放送の「直撃!シンソウ坂上」にも出演され、自身の半生を語ってくれます^ ^
そんな話題の尽きないスター選手新庄剛志さんの野球歴・経歴を改めて振り返ってみます。
一緒に見ていきましょう!^^
Contents
新庄剛志(しんじょうつよし):学生時代
- 1972年1月28日
- 長崎市対馬市生まれ、福岡市南区育ち
- 西日本短期大学付属高等学校
- 身長:181cm
- 職業:タレント、実業家、クリエイター
- 愛称:プリンス、ツーさん
父親がプロ野球選手になりたいという夢が叶わなかったので、剛志さんには何としてもプロ野球選手になって欲しいと思い、二人三脚で頑張ってきたようです。
幼いころからキャッチボールをして野球に親しみ、少年野球時代には周りが厳しくて見ていられないときがあったと言うほど練習熱心で、父親から至近距離で猛ノックを浴びせられても泣きながら最後までやっていたそうです。
剛志さんは小さい頃から相当な負けず嫌いだっだのですね^^
高校は、父親の勧めで地元福岡の野球強豪校:西日本短期大学附属高等学校へ入学し、寮生活を送りました。
残念ながら高校時代に全国大会(甲子園)出場は叶いませんでしたが、幼いころから鍛えられていた肩の強さを認められ、阪神タイガースからドラフト会議で5位指名を受け、入団することになりました。
新庄剛志(しんじょうつよし):阪神タイガース時代
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<1990年から2000年阪神タイガーズに在籍>
契約金3,700万円、年俸(年収)360万円、まずは二軍からスタートです。
翌年、1991年9月には一軍へ昇格。
「(虎の)プリンス」という愛称が浸透していき、低迷していた阪神の戦績を優勝争いへ導くなど、あっという間に人気スター選手へとなりました。
当時住んでいた阪神の寮へ、毎日段ボール一箱分もファンレターが届くほど凄まじい人気ぶりだったそうです。
昔は今と違ってまだ携帯やPCが普及していなかったので、好きな芸能人やスポーツ選手への好きな気持ちを手紙(ファンレター)で送っていたんですよね(笑)
スマホでササッと文字を打つのとは違い、わざわざ紙に文章を書いてポストへ投函するのですから、凄く気持ちがこもっていたように思います。
それにしても、ファンレター一箱分て相当な量ですよね!
今で例えると、Twitterやインスタのフォロワーがみるみる増えていく感じでしょうか^^
途中、故障(怪我)で苦しんだり、年俸(給料)が減額となったり、他球団への移籍を試みた時期もありましたが、2000年に通算1,000試合出場も達成。
同年に日本国内の横浜及びヤクルト球団へに移籍交渉、そして引き留める阪神と三つ巴の報道がされていましたが、
移籍先は誰もが予想していなかったアメリカメジャーリーグのニューヨーク・メッツでみんな度肝を抜かれました。
当時イチロー選手と共に日本人野手(投手以外)として初めてのMLB移籍でも話題となりましたよね^^
新庄剛志(しんじょうつよし):MLBメジャーリーグへ
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<2001年ニューヨーク・メッツ>
契約金30万ドル(当時日本円で3,300万円)年俸20万ドル(同2,200万円)プラス出来高払い50万ドル(同5,500万円)の3年契約でした。
左太股の故障(怪我)しながらも走塁し「カミカゼ・スプリント」と称賛されたり、地道に戦績を重ねていきました。
さすが新庄さんですね!
そして、翌2002年の年俸は135万ドル、日本円で1億3,500万円と自身初めて1億超えも達成しました!
やはりプロ野球選手は夢のある職業ですね。
年収1億とは羨ましすぎます^^
<2002年サンフランシスコ・ジャイアンツ>
トレードでニューヨーク・メッツからサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍することになりました。
守備で肩の力の強さを見せ90mをワンバウンドで送球するなど活躍を見せましたが、右太腿の故障で苦しみ、出場機会が激減。
打撃では前年度より成績を下げてしまいましたが、守備ではリーグ外野手および中堅手の守備率1位を記録するなど好成績を収めました。
<2003年ニューヨーク・メッツ>
古巣のニューヨーク・メッツに年俸60万ドル(当時日本円で約6,000万円)で戻りました。
オープン戦で最高打率.426という戦績を残しましたが、左内太股故障の影響もあり出場試合が減少。
元々渡米する前にメジャーリーグ移籍は3年と決めていたこともあり、翌年日本へ戻ることにしました。
突然日本に戻ってきた印象がありましたが、自分の中では3年と決めていたのですね。
知りませんでした。
いつまでも留まるわけではなく、スパッと決断して次々と行動する新庄さん潔くてカッコいいですね!
新庄剛志(しんじょうつよし):北海道日本ハムファイターズ
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<2004年から2006年 北海道日本ハムファイターズ在籍>
契約金4,000万円、年俸(年収)8,000万円、プラス出来高払い5,000万円の2年契約でした。
何故日本ハムを選んだかというと「最初にオファーを受けた球団へ行くと決めていた」と、ここでも新庄さんの決断力が窺えます。
札幌ドームで行われた入団発表会見では
「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」と目標を掲げました!
結果から伝えると、有言実行の新庄さんはどちらも見事に達成されました!
後のインタビューで「人気が劣るパ・リーグ(日本ハム)に自分が行けば盛り上がって面白いことになると思った」と語られていて、本当にその通りになりましたよね!
2年契約からもう1年更新した3年目の序盤4月の試合中「今シーズンで引退します」と突然の現役引退を表明。
またまた我々の度肝を抜きました。
シーズン序盤でいきなり引退表明しますか!?
普通では考えられない奇想天外なことをする新庄さんにどんどん魅了されていきます^^
引退表明後はマスコミからの注目度も日に日に増し、新庄さんのグラウンド内外でのパフォーマンスは「新庄劇場」と形容され、連日のように報道されていきました。
そして、入団会見で宣言した通り、この2006年には日本ハムを優勝へ導き、引退セレモニーも自身でプロデュース。
「札幌ドーム満員」と「チームの日本一」どちらも達成しての引退、ユニフォームを脱ぎました。
こうやって新庄剛志さんの野球経歴を振り返っているとカッコ良すぎて鳥肌が立ってきました!
スター選手の生き様は本当にカッコよくて素敵ですね^^
新庄剛志(しんじょうつよし):野球界引退後はバリ島へ移住!?
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野球界引退後はタレント、モトクロス競技の練習、絵画制作、コスメ・アパレスグッズの企画販売、馬主など幅広く活動をされていました。
気になることはどんどん挑戦する新庄さんらしいですね^^
CM撮影で訪れたインドネシア・バリ島が気に入り、2007年頃からバリ島へ移住して生活をしています。
日本にいると何処へ行っても「新庄さんだ!」と注目を浴びてしまいますが、バリ島では誰も自分のことを知らない。
そういう今までにない自由でのびのびしたところがとても気に入ったそうです。
ごちゃごちゃした日本の生活と違って、緑など自然豊かな面でも気持ち良さそうですよね!
バリ島ではモトクロレーサーや画家として活動。
移住した当初は、地上3階建て8LDKの大豪邸で暮らしていました。
しかし現在は、家賃3万円の6畳ワンルームで極貧生活を送っているそうです。
えー!セレブでバブリー臭wがする新庄さんからは想像できなくて、ビックリですね!
自分に打ち勝つためにあえて厳しい環境に身を置く必要があると考え、バスタブもなく、キッチン、冷蔵庫が共同という過酷な状況で暮らしていました。
そんなハングリーな新庄さんの生活ぶりも気になりますね^^
新庄剛志(しんじょうつよし):また野球界へ復帰!?
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2019年11月にまたまた驚きの発表が!
48才にしてプロ野球復帰宣言をし、日本国民を驚かせました。
色々と準備をしているようですが、新型コロナウイルスの影響で、現在はプロ野球開幕も延期になっている状況なので、新庄剛志さんがどこのチームに所属するのか?など詳細はまだわかりませんが。。。
新しい情報が入りましたらお伝えしていきます。
以上、野球界のスーパースター新庄剛志さんの過去の野球経歴から現在までをおさらいしてみました。
これからもまた私たちをあっと驚かすようなことをしてくれるのを楽しみに待っています♪
最後までご覧いただきありがとうございました^^